アンマン4日目。死海。ガイドブックに書いてあった公式の帰り方とは・・・

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アンマンから死海へ

一緒に行く男性のDくんと僕は相部屋だった。
朝早く出ようと言っていたのだけど、僕たちが部屋からロビーに出たのは8:00だった。
一緒に行く女性のNさんはすでにロビーで待っていた。

朝早く行くことにした理由をよく覚えていないのだけど、行くのに時間がかかるからというのもあったと思うし、もしかしたら昼になると泳ぐのには日差しが暑すぎるのかもしれない。

すぐ外でタクシーを捕まえて、死海方面に行くバス停まで行ってもらう。そのバス停がどこなのか我々も知らないし、運転手も知らなくて、人にい聞いていた・・・汗

8:30ころ一本目のバスに乗る。
9:00過ぎに乗り換えのバス停に到着。

これで行けるらしいのだけど、バスはいつ来るかわからないため、タクシーで死海まで行くことになった。
ネボ山に行ったのと同じ行き方だ。
10:00ころには着けたのかな。

死海

死海の多くの部分はリゾートホテルが占めていて、一般の人が泳げる場所は限られている。
その場所を探すようにタクシーは走り、大きな観光バスが停まっているところで僕たちも降ろしてもらった。来ていたのはヨーロッパからの観光客だろうか。

さっそく死海の湖に入ると、本当に浮いた。
この「死海で浮く」というのは、小学校のときの確か『社会の教科書』に載っていて、子供ながらに憧れたものだった。まさか来れるなんて思ってもみなかった。

死海はものすごく塩分が強いから、とにかく水分補給をしながら泳ぐようにとガイドブックに書いてあった。長時間泳いでも体に悪いとも。
僕はそれを守ってちょくちょく上がっていたのだけど、2人はあまり気にしていなかった笑
目にも入らないように気を付けた。

塩分がつよくて水がもやもやとして見えた。
舐めてみると塩辛いというより苦かった。海の水も思ったより塩辛いものだけど、おそらくそれよりも濃かったと思う。

泥パック

外に上がっていると、ヨルダン人の男性がいて、

「How are you?」

と声をかけてきた。
彼は岸辺の穴に手を突っ込んでいて、何をしているのかと思ったら、たくさんの「泥」を手に取っていた。
そして、それを自分の顔に塗りだす!

死海の泥パックは有名なんだろうか?
僕は知らなかったから驚いた。そのうちに他にも地元のヨルダン人たちが増えていて、みんな泥パックをしていた。地元の人は泳ぐよりこっちなのかな?

お父さんと小学生低学年くらいの娘の2人は体中泥だらけになっていた。お父さんは禿げ頭まで泥だった笑

死海からの帰り方は??

お昼頃になり、そろそろ帰ることにする。
それで、どうやって帰るのかだけど、ガイドブックに書いてある、死海からの公式の帰り方はなんとヒッチハイク!!

まずはここに来ている人に聞いていみる。残念ながらアンマンの方に帰る人はいなかった。

道に出てヒッチハイク開始!

これが、なんとすぐ、6台目くらいのトラックが停まってくれた。アンマン方面とのこと。難なく乗れてしまった。

シートの後ろの上がロフトのようになっていて、そこで足を延ばして寝ることができた。
3人ともそこに寝転がった。
気づいたら少し寝てしまっていた。

起きると、Nさんが運転手となにやら話していて、それによると、

「アンマンの中心地には行かないから、降ろすところにタクシーを呼んでくれている」

とのこと。
普通はその親切に喜ぶところだろうけど、バックパッカーで安旅をしている我々は、えーーー!という反応だった。
Nさんが「大丈夫、大丈夫」と運転手に言っていたところで、もうすでに呼んでしまっていたらしい。

トラックから降ろしてもらったところに本当にタクシーが待っていた。
普通の旅行をしている人からすると常軌を逸していると思うかもしれないけど、長旅をしているとお金に本当にシビアになってしまうのだ。体力と時間とお金を天秤にかけたら、そこは払った方が良くても払わなくなるのだった。若い我々には払うお金は無くても、体力と時間があるのだ。

一応金額を聞くと、タクシーの運転手は初め「10JD」と言った。申し訳ないけど断って、歩くことにすると言うと、「5JD」になり、最終的には「3JD」になったので結局乗ることになった。

クリフホステルに戻って来たのは14:00ころだった。

こんなに大変な思いをしないでアンマンから死海に行くには、ネボ山のときのように、行きのタクシーやセルビスに帰りも来てもらうように頼むことだろう・・・。

ロビーにて。今後お世話になる日本人!!

死海と移動とでくたくただった。
帰ってDくんといつものイラク食堂でお腹いっぱい食べて、部屋に戻って夜まで寝た。

起きたのは20:00
イスラエルのガイドブックをいただいたお礼に、Nさんにビールをおごる約束になっていた。
下で買って、ロビーに持っていった。

すると、ロビーにいた人たちが僕を待っていたようにこちらをみた。

「???」と思っていると。

新しく来た体の大きな日本人を紹介してくれた。

「きみ、彼、明日イスラエル行く予定なんだって。きみと同じだよ!」

それはとても心強いことだった。

年齢は約一回り上で、彼は見るからに真面目だった。
そして、彼が調べてきたアンマンからイスラエルに行くルートを教えてくれた。
なかなか頑固な人でもあって、サーマルが知ってる「セルビスで国境まで行く」というルートではなくて、「バスで行く」というものだった。

サーマルは「セルビスでも何時間も待たされるのに、50人も乗るバスではどれだけ待つかしらないよ?」と言ったが、彼は譲らなかった。

深夜1時まで翌日の計画を話していた。
アンマンでの休日のような日々から、ようやく動き出すことになった。

追記。死海の水位低下

死海の水位は年間約1メートル低下しているという。
死海に流れ込んでいた水を供給用にパイプラインで引いたり、鉱物資源の採掘が要因だ言う。僕が行ってからもう14年もたっているから、14メートルも低下していると言うことだろうか・・・。僕たちが泳いだあたりは、もう干上がってしまってるということになる・・・。
リンクは、水位低下を知ってもらうために泳いで横断するイベントがあったと言うもの。

死海の水位、低下の一途 泳いで横断の啓発イベントも(CNN.co.jp 2016.11.21)

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