大川小学校(場所・行き方)- 震災遺構を巡る2019

2019年9月末に訪れた東日本大震災遺構の大川小学校を紹介します。

前回の旧女川交番の次に訪れました。同じリアス式海岸線の398号道路を行きます。

この旅でいちばん圧倒された場所でした。

Youtubeでも紹介・解説しています。

震災遺構を巡る様子をYoutubeでも紹介・解説しています。写真だけでなく、映像付きで分かり易いと思いますので、良かったら合わせてご覧ください。

宮城県の震災遺構記事一覧

各記事
0 旅のルート全体
1 旧女川交番
2 大川小学校
3 南三陸町旧防災対策庁舎
4 リアス・アーク美術館
5 旧気仙沼向洋高校(伝承館)
6 ブライダルパレス高野会館
7 仙台市立荒浜小学校

撮影に使ったカメラとフィルム

2011年3月11日に大川小学校で起こったこと

大川小学校で起こったことは東日本大震災の最大の悲劇のひとつとして、知っている人も多いと思います。

2011年3月11日の津波に被災し、全校生徒108名のうち、児童74名、教職員10名が犠牲となりました。

校庭に避難できたものの、その後の選択で川側の三角地帯に逃げたことで悲劇が起こりました。

そのため、「人災」という声も上がっています。

実際にこの場所を訪れると、その無念な気持ちは理解できます。

上の画像は裏山で、白い看板があるところが津波到達地点です。子供なら簡単に登れるような場所で、避難方向が違っただけで助かっただろうことが想像できてしまいます。

大川小学校の場所と行き方

398号線を仙台側(南側)から来た場合、大きな北上川を渡す鉄橋の手前を右折します。坂を下りる感じになっていて、すぐに見えるので分かります。

まだ整備は暫定的で、見学者用の舗装されていない駐車場が、学校の道を挟んだ向かいにあります。

2019年に大川小学校を実際に訪れたときの様子(フィルム写真撮影)

大川小学校には16:50ころ到着しました。西日の射す時間帯でした。

向かいの駐車場に車を止めました。見学に来ている人の車が数台ありました。

このあたりは大川小学校以外に何もなくて草原なのですが、もともとは家が何件もあった場所でした。

今回の震災遺構を巡る旅行は、まったく計画的なものではありませんでした。

リアス式の海岸沿いの道を車で通れば、その当時の雰囲気みたいなものが「もしかしたら」感じ取れるのではないか、という程度で考えていました。

8年経った今でも、被災した当時のままで残っていることに圧倒されました。

ある程度の整備や管理はされていて、校舎のまわりにはたくさんの花が咲いていました。

中に入らないように簡易的なロープもされていました。

中には入れませんが、外から教室が見れます。

すごくモダンな作りの校舎だったんですね。

黒板が取り外されて置いてありました。

壁にかかっていない黒板を始めて見ました。

椅子が重なっていました。

校内放送のスピーカーがひしゃげています。

体育館に通じる方の出口です。

奥には屋外ステージがあって、外側の壁に絵が描いてありました。

ただ写真を撮りながら歩いているだけでしたが、涙をこらえられませんでした。

見学のグループが来ていて、その解説の方に冊子をいただき、当時の時系列や、犠牲になった人たちの人数などを知りました。

震災遺構・大川小学校 – おわりに

震災遺構「大川小学校」を訪れた様子を写真で紹介しました。

8年経った2019年でも、大川小学校がほとんど手つかずのままで残っている理由は、8年経っても遺すか残さないかの判断ができなかったからではと思います。

「教訓になる」だけで残せるほど簡単なことではないんですね。大川小学校は2018年に遺構として残されることが決まったというニュースがありました。ぜひ足を運んでほしい場所です。

撮影機材情報

カメラ:Rollei 35S
フィルム:Kodak TMAX100

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